2016年9月7日水曜日

もうひとつのふるさと韓国



先週はしばらく韓国に行ってきました。
日本人と韓国人のハーフである私にとって韓国はもうひとつのふるさと。もちろん親戚もいるし寝泊まりできる家もある。ソウルには幼い頃から数え切れないほど通っていて...韓国人と接していると妙に親近感が湧いたり落ち着くのは、私にも韓国の血が半分流れているからなのかなぁと思う時がよくある。

そんな韓国で事業を営んでいる私の母は自慢したい程のバリバリの経営者(笑)若くして日本人の父と結婚し日本に帰化してから、父の仕事を手伝いつつずっと主婦をしていたけれど、丁度私が中学生になり40を過ぎた頃、珈琲の世界に魅了され、日本のあるお気に入りのカフェでトイレ掃除から修行を積み、かつて砂糖が混ざったインスタントの甘い珈琲しかなかった韓国に初めて濃厚な自家焙煎のハンドドリップコーヒーを広めた。

忘れもしない1998年。「韓国 珈琲美学」一号店のオープン直前に妹を高齢出産。生まれたばかりの妹を寝かせたゆり籠をカウンターに置き仕事をしたそう。その後、韓国の経済新聞の一面等で大きく紹介され韓国では瞬く間に時の人となった。あれから10年以上が経った今、韓国は日本よりカフェだらけの国になった。韓国産業の歴史の中に日本人として根深く刻まれた母の名前。未だにどこに行っても、産業や経済に関わってきた韓国人で知らない人はいない。かつて母に「本でも書いて出版してみたら?」と尋ねた事があったけど、「私はそういうの嫌いなの!」と即答されたのがとても印象的で、母らしいなと思った事がある。

そんな私の母の珍話は山程あるけれど、韓国に行きその母と時間を共にするだけで毎回ものすごいエネルギーをもらって帰ってくる。私にとって充電器のような存在だ(笑)韓国のコーヒーブームの波にのまれ一時期は押し潰されそうになったり、無謀にも財閥と裁判で争ったりした辛い時期もあったけどそれも乗り越え、今では珈琲に限らずアパレル事業も韓国全土に展開しており、韓国と日本を拠点に、英語もろくに話せないのに色々な国を行ったり来たりしている。毎回、もう60を過ぎた身体のどこにあの溢れんばかりのバイタリティが備わっているのだろうかと感心させられる。

以前、「もう60過ぎたしゆっくりすれば?」と聞くと、「まだまだこれから!今始まったばかりなのに何言うのよ!」と怒られた(笑)そんないつまでもエネルギッシュにキラキラ輝く母を見ていると、人はいくつになっても夢を抱き人生を変えられるのだと思う。

P.S. 写真は懐かしい珈琲美学一号店と、店を閉めてから私が描いた一号店のイメージ画。


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